香月泰男
余分なものをそぎ落とし、独自のマティエールで対象の本質を描いた。
1911年明治44年 〜 1974年昭和49年
戦後日本美術史を代表する洋画家。第2次世界大戦後のシベリヤ抑留の体験をもとにした57点の油彩からなる「シベリヤ・シリーズ」が代表作。 生まれ育った三隅の地で亡くなる直前まで創作活動をおこない、ふるさとの自然や愛する家族を題材とした絵画や、廃材を利用して作った「おもちゃ」と呼ばれるオブジェも人気を博している。
年 | 主な出来事 |
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1911年明治44年 |
10月25日、山口県に開業医の息子として生まれる。 |
1931年昭和6年 |
東京美術学校に入学、藤島武二の教室に学ぶ。 |
1934年昭和9年 |
「雪降りの山陰風景」で国画会に初入選。 |
1936年昭和11年 |
東京美術学校油絵科を卒業。北海道庁立倶知安中学校に美術教師として赴任。 |
1939年昭和14年 |
梅原龍三郎、福島繁太郎の知遇を得る。「兎」第三回文展特選。 |
1940年昭和15年 |
国画会第15会展で佐分賞を受賞。国画会同人に推挙される。 |
1942年昭和17年 |
太平洋戦争勃発により召集を受け、兵として満州へ。 |
1945年昭和20年 |
ソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。 |
1947年昭和22年 |
シベリア抑留から引き揚げ、下関高等女学校に美術教師として復職。 |
1955年昭和30年 |
マチエルに方解末を用いた独特の黒い作品が生まれる。 |
1956年昭和31年 |
「ヒューザンス」がメルボルン近代美術館に収蔵される。 |
1958年昭和33年 |
欧州巡回日本現代美術展に近作数点を送る。 |
1966年昭和41年 |
九州産業大学に新設された芸術学部油絵科の主任教授を委嘱される。 |
1968年昭和43年 |
西日本文化賞受賞。 |
1969年昭和44年 |
「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞。 |
1971年昭和46年 |
安井賞選考委員を委嘱される。 |
1974年昭和49年 |
3月8日、心筋梗塞にて死去。勲三等瑞宝賞受賞。 |