梅原龍三郎 Ryuzaburo Umehara

日本洋画を確立し、その豪快な性格から『画壇のライオン』と呼ばれた
1888年明治21年1986年昭和61年

絵画・版画高価買取

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風景画主体で、華やかな色彩の中に豪快なタッチ、東洋絵画の特色を生かした重厚な作風で知られ、自由奔放な画風を確立。代表的作品に『富士』『裸婦』『金の首飾り』『桜島』『雲中天壇』『紫禁城』『北京秋天』『霧島(栄ノ尾)』などがある。晩年に使用した吉田五十八設計の東京都市ヶ谷のアトリエが山梨県北杜市の清春芸術村に移築され公開されている。


所属
二科会
春陽会
国画会
性別
男性
歿日
1986年1月16日(木)
出身地
京都
受章
文化勲章
コマンドール勲章
関係のある主な作家
ルノワール(師)
浅井忠(師)
高田保雄(弟子)
パブリック・コレクション
愛知県美術館
佐倉市立美術館
京都国立近代美術館
大原美術館
東京国立近代美術館
西宮市大谷記念美術館
堀美術館
ふくやま美術館
三重県立美術館
豊田市美術館
静岡県立美術館
ひろしま美術館
上原近代美術館
鑑定機関・委員会
東美鑑定評価機構鑑定委員会
梅原龍三郎の会
主な出来事
1888年明治21年

3月9日、京都市下京区に染物問屋の子として生まれる。1914年までは良三郎と名乗る。

1903年明治36年

京都府立第二中学校を中退。伊藤快彦の画塾「鍾美会」を経て、浅井忠の主催していた聖護院洋画研究所(関西美術院)卒業。

1908年明治41年

田中喜作と共に渡仏。アカデミー・ジュリアンに入りバッセの教室に通う。 その間ルノワールに傾倒する。

1909年明治42年

カーニュのルノワールを訪問、以後師事。

1913年大正2年

帰国後、神田・ヴィナス倶楽部で白樺主催個展を開き、「首飾り」など滞欧作110点を発表して注目を集める。

1914年大正3年

二科会創立に参画(1918年退会)。洋画家・亀岡崇の妹艶子と結婚。

1915年大正4年

長女、紅良(こうら)誕生。

1918年大正7年

長男、成四誕生。

1920年大正9年

再渡仏。前年に亡くなったルノワールを弔問。

1922年大正11年

帰国後、小杉放菴らと春陽会結成。

1925年大正14年

春陽会を退会、国画創作協会に迎えられ、川島理一郎と洋画部新設。

1928年昭和3年

国画創作協会が解散。洋画部が独立し「国画会」となる。

1935年昭和10年

帝国美術院会員に就任。

1937年昭和12年

帝国芸術院(現日本芸術院)会員となる。(1957年辞任)

1944年昭和19年

帝室技芸員、東京美術学校(現:東京芸術大学)教授となる。

1952年昭和27年

東京美術学校を退官。渡欧しヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員を務める。文化勲章受章。

1953年昭和28年

軽井沢にアトリエを設ける。

1973年昭和48年

フランスよりコマンドール勲章授章。

1986年昭和61年

1月16日、東京で逝去。

最終更新 2021年06月23日
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