平野遼 Ryo Hirano

心の闇と光を描き続けた「魂の画家」
1927年昭和2年1992年平成4年

絵画・版画高価買取

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戦後の混乱期に独学で画家として歩み始めた平野は、困窮と孤独のなかで、独特の筆致による内面世界の表現を確立しました。平野の関心は常に「人間」にありました。平野は時代に流されることなく、真摯に人間や社会、そして自分自身と向き合い、その本質を捉えるべく凝視し続けました。作品には、時に苦悩し不安にふるえ、時に矛盾を抱え生きる人間の普遍的な心の在りようが、重厚な色彩と線とによって表現されています。


性別
男性
誕生日
1927年2月8日(火)
歿日
1992年11月24日(火)
出身地
大分
主な出来事
1927年昭和2年

2月8日、大分県出身。

1939年昭和14年

戸畑男子高等小学校(現、沢見中学校)卆。

1949年昭和24年

第13回新制作派展に出品、初入選。

1957年昭和32年

若松「ドガ」画廊で初個展。以後国内各地で個展。

1967年昭和42年

平野遼20年展(北九州市立八幡美術館)開催。

1977年昭和52年

『平野遼自選画集』(小学館)刊行。

1986年昭和61年

池田二十世紀美術館で「平野遼の世界展」。

1987年昭和62年

西日本文化賞受賞。

1990年平成2年

下関市立美術館で「平野遼展」

1992年平成4年

11月24日、逝去。

本名は明。独学で絵を学ぶ。上京し、新制作展・自由美術家協会展に入選。自由 美術協会・主体美術協会会員などを経て、以後無所属として九州、小倉を拠点 として個展を中心に制作発表を行った。一貫して人間をモティーフとし、褐色、 灰白色を基調にジャコメッティに傾倒した細い線による人体を表現で、深み のある作品を制作した。

最終更新 2023年11月22日
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