堂本尚郎 Hisao Doumoto

1928年昭和3年2013年平成25年

絵画・版画高価買取

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伯父の印象をはじめ、芸術家一族の中で育ちました。京都市立美術工芸学校で日本画を学び、在学中から日展に入選し将来を嘱望されました。1952年、印象に同行して初めてヨーロッパに旅行、閉鎖的な日本画壇にあきたらず海外に目を向けます。55年、渡仏して洋画に転じ、アンフォルメルの運動に身を投じます。パリのスタドラー画廊で初個展をひらき成功を収めました。激しく左右に振れる筆触で、横長の画面を覆う作品を制作しました。60年代前半にはアンフォルメルを離れ、車の轍の跡や鎧戸を連想させる厚塗りの「連続の溶解」シリーズを手がけます。70年代には、円形が繰り返し用いられ、天体と関連する作品名を与えられた作品群が制作されます。80年代以降は、様々な色のアクリルを用いて連続するS字状が画面全体に広がる、薄塗りの「連鎖反応」シリーズが生み出されました。2000年代以後は、絵具をたらしこむモノクローム作品を手がけています。


よく描くテーマ
現代美術
性別
男性
誕生日
1928年3月2日(金)
歿日
2013年10月4日(金)
出身地
京都
受章
紫綬褒章
フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章
主な出来事
1928年昭和3年

3月2日、京都に生まれる

1948年昭和23年

第4回日展初入選
京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)日本画科卒業

1949年昭和24年

京都市立美術専門学校研究科に進む
第5回日展に出品

1950年昭和25年

第6回日展に出品

1951年昭和26年

第7回日展に出品
特選となり政府買上げとなる

1952年昭和27年

京都市立美術専門学校研究科卒業

1955年昭和30年

フランス政府私費留学生として渡仏、パリ国立美術学校入学
グラン・ショーミエールで油画を始め、アンフォルメル運動に参加する。
その後、抽象画へ発展する

第12回サロン・ド・メに「Peinture」を出品
今井俊満の紹介でミシェル・タピエを知り、アンフォルメル運動に参加

1958年昭和33年

パリ在住外国人青年画家展で「絵画」がグランプリを受賞

1959年昭和34年

マーサ・ジャクソン画廊(ニューヨーク)('67、'71)
第11回プレミオ・リソーネ国際美術展にパリから「作品」出品第2位特別賞受賞

1962年昭和37年

アンフォルメル運動に疑問を感じ、タピエらのグループから脱退

1964年昭和39年

第32回ヴェネツィア・ビエンナーレに「連続の溶解 No.1」から
「連続の溶解No.10」までの10点を出品、アルチュール・レイワ賞受賞

1967年昭和42年

帰国、以降円形を単位とする幾何学的な作品を制作
個展 Solutions de Continuitesをニューヨーク、マーサ・ジャクソン画廊で開催
「連続の溶解8」「連続の溶解11」「連続の溶解12」などを出品

1968年昭和43年

帰国

1979年昭和54年

パリ市立近代美術館
“ムートン・ロートシルド”のラベルを日本人として初めて描く

1994年平成6年

紫綬褒章を受章

2001年平成13年

フランス政府芸術文化勲章オフィシエ章を受章

2005年平成17年

「堂本尚郎展」京都国立近代美術館

2006年平成18年

「堂本尚郎展」世田谷美術館

2007年平成19年

文化功労者授章

2013年平成25年

10月4日、逝去

最終更新 2015年04月02日
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