パブロ・ピカソ Pablo Picasso

キュビズムの創始者である20世紀を代表する芸術家
スペイン 1881年 〜 1973年

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20世紀美術の巨匠。画家でありながら、彫刻、陶芸、版画、舞台装置、タピストリーといった幅広い分野で活躍し、どの分野でも第一人者と呼ぶにふさわしい高い質と独創性に富んだ作品を残した。制作量でも類を見ないほど膨大。20世紀における造形上のもっとも大きな変革であったキュビスムの創始者として知られるが、彼の様式は写実主義からシュールレアリズムに至るまで幅広い。「変革の画家」と名付けられるほど技法も主題もめまぐるしく変化したが、92年間の生涯を通じ、人間的主題を中心にエネルギッシュに描き続けた。


性別
男性
誕生日
1881年10月25日(火)
歿日
1973年4月8日(日)
関係のある主な作家
ホセ・ルイス・ブラスコ(親)
マリア・ピカソ・ロペス(親)
主な所蔵美術館
Musee National Picasso, Paris (国立ピカソ美術館、フランス、パリ)
Museo Picasso Malaga(ピカソ美術館、スペイン、マラガ)
Museo Picasso(ピカソ美術館、スペイン、バルセロナ)
鑑定機関・委員会
Pablo Picasso Authentication
主な出来事
1881年明治14年

10月25日、スペイン南部マラガで生まれる。

1891年明治24年

ガリシア地方ラ・コルーニャに移住。父ドン・ホセは同市ダ・グワルダ工芸学校美術教師、地域の美術館の学芸員に赴任。

1892年明治25年

ラ・コルーニャの美術学校に入学。

1894年明治27年

父ドン・ホセは絵の道具を息子に譲り自らが描くことをやめる。一説に息子の才能への賞賛が原因とされる

1895年明治28年

バルセロナに移住、美術学校に入学。一か月の猶予のある入学製作を1日で完成させる。初期の作品は、バルセロナの小路ラ・プラタ通りのアトリエで描かれた。

1897年明治30年

父の指導のもとで描いた古典的な様式の『科学と慈愛』がマドリードで開かれた国展で佳作を受賞、マラガの地方展で金賞を受賞。
同年秋、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学。
だが、ピカソはアカデミズム・学校で学ぶことの無意味さを悟り、中退する。
プラド美術館に通い、ベラスケスらの名画の模写することで絵画の道を求めていった。

1899年明治32年

バルセロナで若い芸術家(サロン)たちと交わりながら熱心に絵を描く。

1900年明治33年

パリに定住。ロートレックの影響を強く受ける。

1901年明治34年

パリで初の個展。「青の時代」の始まり。
<青の時代>‐親友カサヘマスの自殺に大きな衝撃を受け、無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、カサヘマス、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、盲人、裸婦、芸術家などを描いた。

1904年明治37年

詩人のマックス・ジャコブによって〈洗濯船〉と名付けられたモンマルトルの建物に部屋を借り、パリに腰を据える。

1905年明治38年

「ばら色の時代」(Rose Period)が始まる。
<「ばら色の時代」(Rose Period)>-フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。

1907年明治40年

キュビズムの記念作『アヴィニヨンの娘たち』を製作。
ジョルジュ・ブラックらと共にキュビズムを発展させる。

1909年明治42年

スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた。

1912年大正元年

モンパルナスへ移る。
<総合的キュビスムの時代>-装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビスムとも呼ばれる。このころ、新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュ技法を発明したが、これはマルセル・デュシャンのレディ・メイドの先駆である。

1916年大正5年

パリ郊外モンルージュに移る。

1918年大正7年

オルガ・コクローヴァと結婚。パリ、ラ・ボエシーに移る。
<新古典主義の時代>-古典的で量感のある母子像を描いた。

1920年大正9年

『プルチネルラ』の衣装を製作。新古典主義時代。

1922年大正11年

コクトーの『アンティゴーヌ』の装置、衣装を担当。

1925年大正14年

<シュルレアリスム(超現実主義)の時代>-化け物のようなイメージが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる。代表作は『ダンス』『磔刑』など。

1928年昭和3年

彫刻に専心。

1930年昭和5年

『ピカソ夫人像』がカーネギー賞を受賞。

1934年昭和9年

スペインへ旅行、『闘牛』連作を描く。

1936年昭和11年

人民戦線政府の依頼によりプラド美術館長に就任。

1937年昭和12年

ゲルニカ作成。パリ万博スペイン館にて発表する。
<ゲルニカの時代>-コンドル軍団のゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』および、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。

1939年昭和14年

ニューヨーク近代美術館で個展、『アンティーブの夜漁』を描く。

1944年昭和19年

パリ解放後最初のサロン・ドートンヌに戦争中に製作した80点の作品を特別展示。フランス共産党入党。

1945年昭和20年

ロンドン、ブリュッセルで個展。

1952年昭和27年

『戦争と平和』のパネルを制作。

1953年昭和28年

この年より晩年まで、版画や素描を自己表現的なテーマに集中して制作。
版画の『347シリーズ』等多くの作品を生んだ。
リヨン、ローマ、ミラノ、サンパウロで個展。

1954年昭和29年

ジャクリーヌ・ロックと共同生活を始める。

1955年昭和30年

南フランスの陶芸の街、ヴァロリスに移り住む。

1958年昭和33年

『イカルスの墜落』製作(パリ、ユネスコ本部)。

1964年昭和39年

日本、カナダで回顧展。

1966年昭和41年

パリ グラン・パレ、プティ・パレで回顧展。

1967年昭和42年

シカゴで巨大彫刻『シカゴ・ピカソ』公開。

1968年昭和43年

<晩年の時代>-油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。このころ、自画像も多く手がけている。

1970年昭和45年

アヴィニョン法王庁で140点の新作油絵展。バルセロナのピカソ美術館開館。

1973年昭和48年

4月8日、南フランスのムージャンの別荘で逝去。享年91歳。

最終更新 2014年06月07日
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