ジョルジュ・ブラック
ピカソとともにキュビズムを生み出した20世紀を代表する画家
フランス 1882年 〜 1963年
ピカソとともにキュビズムを生み出した20世紀を代表する画家。ピカソよりも画家としてのキャリアでは劣ったが、絵画における発明の才はピカソも一目を置いた。第一次世界大戦を挟んで画風は一変するが、生涯に渡って絵を書き続けた画家である。
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1882年5月13日(土)
- 歿日
- 1963年8月31日(土)
- 鑑定機関・委員会
- Galerie Louise Leiris, Paris.
年 | 主な出来事 |
---|---|
1882年明治15年 |
パリ郊外アルジャントゥイユに生まれる。 |
1890年明治23年 |
一家はル・アーヴルに移り、同地の中学校、ついで美術学校に通う。美術学校でフリエスとデュフィと知り合う。 |
1899年明治32年 |
学校をやめ、塗装業の見習いとなる。 |
1900年明治33年 |
塗装の修業を終えるためパリに出、バティニョールの市立美術学校で絵とデッサンの勉強を続ける。 |
1902年明治35年 |
アカデミー・アンベールとエコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室に入る。 |
1905年明治38年 |
フォーヴィスムの影響を受けて、大胆な色彩の作品を制作。 |
1907年明治40年 |
ピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》を見、またセザンヌの回顧展を見て、その作風が大きく変わる。 |
1909年明治42年 |
パリで2点の作品をサロンへ出品した。このとき初めてキュビスム的絵画が大衆へ曝されることとなり、大きな噂となる。 |
1911年明治44年 |
ブラックは葡萄の房やバイオリンが登場する作品を多数製作した。 |
1912年大正元年 |
カンバスの一部に丁寧に木目を描いたり、絵具に砂を混ぜるなど、後のコラージュやパピエ・コレに通ずる作品を製作した。 |
1917年大正6年 |
製作を再開する。軍属でもあった画商レオンス・ローザンベールと契約する。 |
1919年大正8年 |
ローザンベールの画廊で個展を開いた。 |
1937年昭和12年 |
カーネギー国際大賞受賞して国際的名声を獲得する。 |
1948年昭和23年 |
ベネチア・ビエンナーレで大賞受賞。ニューヨークで大回顧展開催。 |
1953年昭和28年 |
ルーブル美術館・シュリー翼のアンリ二世の間の天井画を手掛ける。 |
1963年昭和38年 |
8月31日、パリにて逝去。 ルーヴル美術館の前で国葬が執り行われた。 |