フランスで活躍したアルメニア人画家。 繊細な描写表現と華麗にして落ち着きのある色彩で人間の内面や現代の苦悩を強い描線で描き、様々なコンクールで受賞を重ねた。アルメニア大虐殺のシリーズを描いた後にフランス政府よりレジオンドヌール勲章を授勲。 アルメニア政府からも国家勲章を授章。2013年逝去。
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1920年3月9日(火)
- 歿日
- 2013年8月27日(火)
- 出身地
- アルメニア
- 受章
- レジオン・ドヌール勲章
- アルメニア国家勲章
- 主な所蔵美術館
- 安曇野ジャンセン美術館
年 | 主な出来事 |
---|---|
1920年大正9年 |
製糸工場を営んでいたアルメニア人の父(ミリ・ジャン)とトルコ人の母(アレック)の間に誕生。戦渦を逃れて渡ったギリシャのサロニカで少年時代を過ごす。 |
1931年昭和6年 |
11歳、一家でフランスに渡る。怪我の治療で入院していた3年間のなかで、画家になる決心をする。 |
1938年昭和13年 |
パリ装飾美術学校を卒業。その後もモンパルナスのデッサン学校(ラ・グランド・シュミエール)他、様々なアトリエを訪れ絵の勉強をする。 |
1939年昭和14年 |
サロン・ドートンヌ展、アンデパンダン展、サロン・デ・チュイルリー展、エコール・ド・パリ展、時代の証人画家展に出品する。 |
1942年昭和17年 |
22歳、結婚。ギリシャで漁師と子供達を描く。 |
1946年昭和21年 |
アカデミー・グラン・シュミエールに通い、様々な画家との親交を深める。 |
1951年昭和26年 |
民主主義者賞を受賞する。スペインで民衆を描く。 |
1953年昭和28年 |
アントラル賞を受賞する。 |
1954年昭和29年 |
フランス国家給費を受ける。 |
1956年昭和31年 |
定期的にイタリアに長期滞在し、風景画・人物画・宗教行列・市場を描く。 |
1958年昭和33年 |
サロン・デ・ジューヌ・バンチュールの会長に推される。サロン・ドートンヌの会員となる。メキシコのコンパレゾン賞を受賞する。 |
1959年昭和34年 |
ブルッヘのビエンナーレ展に参加する。 |
1966年昭和41年 |
ヴェネツィアを訪れ運河を描く。国際形象展から招待出品を受ける。(これ以後も最終回となる1986年まで21回招待出品を受けた。) |
1967年昭和42年 |
パリ、パームビーチ、シカゴ、東京、ヨハネスブルグ、大阪、アントニー等で個展を開催 |
1996年平成8年 |
長野(安曇野ジャンセン美術館)・東京(大丸ミュージアム)・大阪(ナビオ美術館)で特別回顧展、「愛と哀しみを描いて60年」展を開催。 |
1999年平成11年 |
安曇野ジャンセン美術館で特別展「風景と静物画展」「花と踊り子展」を開催。 |
2002年平成14年 |
アルメニアに招待を受け、アルメニア正教会の成立1700年を記念し同国立館にて大々的に「虐殺展」を開催。アルメニア国家勲章を受章(カラヤン、シラク仏大統領に続き三人目)。 |
2003年平成15年 |
フランス国家勲章(レジオンドヌール勲章)を受章。 |
2013年平成25年 |
8月27日、フランスにて逝去。 |