マルク・シャガール
エコール・ド・パリの画家として活躍した、20世紀を代表する芸術家の一人
ロシア 1887年 〜 1985年
「色彩の魔術師」といわれる豊麗な色、空中を浮遊する超現実的幻想、詩情などで独自の世界を展開。 銅板、リトグラフによる多数の挿画本、版画を制作。世界画壇の最高峰として市場人気が高い。
- 性別
- 男性
- 誕生日
- 1887年7月7日(木)
- 歿日
- 1985年3月28日(木)
年 | 主な出来事 |
---|---|
1887年明治20年 |
7月7日、ヴィテブスク(ヴィーツェプスク/旧ソビエト領・現ベラルーシ)生まれ。両親はユダヤ人。 |
1907年明治40年 |
ペテルスブルク美術学校(サンクトペテルブルグ)で学ぶ。 |
1909年明治42年 |
レオン・バクストのズヴァンツェヴァ美術学校で学ぶ。 |
1910年明治43年 |
13年以後詩人ブレーズ・サンドラール、マックスシヤコブをはじめレジェ、モジリアーニ、ドローネなどの画家と知り、アポリネールと親交を結び、アンデパンダン展に出品。 |
1914年大正3年 |
ベルリンで初個展。初期作品は印象派風だったが、ピカソを知り立体派に感化される。 |
1915年大正4年 |
母が病死。 同郷のベラ・ローゼンフェルトと結婚。 |
1917年大正6年 |
革命後の故郷で美術人民委員に選ばれたが、マーレヴィッチとの不和でパリに戻る。やがて、明るさと思索性、神秘性をあわせたシュールレアリスム作風を確立。 |
1922年大正11年 |
ベルリンへ寄り、版画家ヘルマン・シュトックを知り、銅版画技法を習得。同年最初の銅版画「わが生涯」を出版者カッシラーの依頼で制作。 |
1923年大正12年 |
パリへ渡る。ヴォラールの依頼によりゴーゴリーの「死せる魂」及びラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作。 |
1931年昭和6年 |
ヴォラールの依頼で壮大な主題「バイブル」に取り組むためパレスチナへ旅行。 |
1939年昭和14年 |
カーネギー賞受賞。 |
1941年昭和16年 |
第二次世界大戦勃発。ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命。 |
1944年昭和19年 |
最愛の妻ベラ・ローゼンフェルトを亡命先のアメリカで亡くす。 |
1945年昭和20年 |
ニューヨーク近代美術館及びシカゴ・アート・インティテュートで回顧展開催。 |
1948年昭和23年 |
カラー石版画「アラビアンナイト」発表。ヴェニス第25回ビエンナーレ版画賞受賞。 |
1950年昭和25年 |
南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得。 |
1952年昭和27年 |
ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。 |
1954年昭和29年 |
ギリシャへ旅行。カラー石版画「ダフニスとクロエ」の仕事開始。 |
1956年昭和31年 |
サーカスをテーマに石版画を制作。銅版画「バイブル」を発表。 |
1958年昭和33年 |
「デッサンバイブル」カラー石版画25点制作。(60年発表) |
1960年昭和35年 |
エラスムス賞(エラスムス財団・オランダ)が贈られる。 |
1963年昭和38年 |
パリ・オペラ座の天井画制作。東京、京都で大回顧展開催。 |
1965年昭和40年 |
カラー石版画「エクソダス」制作。 |
1966年昭和41年 |
17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。 |
1967年昭和42年 |
生誕80周年を記念チューリッヒ、ケルンで大回顧展開催。ルーブル美術館で「聖書の使命」展開く。 |
1973年昭和48年 |
7月7日、ニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現在は国立マルク・シャガール美術館)が開館。 |
1976年昭和51年 |
東京国立近代美術館で個展を開く。 |
1985年昭和60年 |
死去。サン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に埋葬される。 |